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母を助け 僕は走る!━自転車ロードレース宮沢崇史選手━

2008-08-11 21:02 OAKLEY / オークリー  お客様ご紹介 & フレーム紹介!  

こんばんは インスパイラル ブログです。今日は、北京オリンピック自転車ロードレース男子の
日本代表として、見事完走を果たした宮沢崇史選手についての

の新聞記事をご紹介したいと思います!是非、読んでください!
★以前インスパイラルにご来店いただいた際の様子はコチラをご覧くださいませ!

母を助け 僕は走る』(8/10 朝日新聞より)
トップがゴールして31分が過ぎた。観客もまばらになり始めた時、自転車ロードレース男子の宮沢崇史(30)がゴールに帰ってきた。
北京市内を出て、約80㌔離れた万里の長城付近の24㌔周回を7周。全長245㌔。五輪初挑戦の結果は86位とほろ苦かったが、レース後サングラスをとるとすぐキョロキョロとあたりを見渡した。沿道で応援していたはずの母に、真っ先にゴールを報告したかった。

「久しぶりに息子の走りをみて元気出たかな」

純子さん(60)が病に倒れたのは7年前の秋。小1の時に父を病気で亡くした後、女手一つで育ててくれたが、肝硬変の悪化が発覚した。
医師からの宣告は「生体肝移植しか、治療法はない」。「息子は自転車選手」と首を振る母に言った。「たいしたことないよ。おれの肝臓を移植すればいい」。
腹筋にメスを入れることは選手生命を左右しかねない。それでも「母親に感謝の気持ちがあった。そんなにすごいことをしたとは思っていない」という。
中学の時、テレビで見たツール・ド・フランスにあこがれ、高校卒業後は自転車レースが盛んな欧州に留学もした。協議を続けてこられたのは、母の経済的、精神的な支援のおかげだと感じていた。ためらいなく、肝臓のほぼ半分を母のために切除した。

ただ、現実は甘くない。手術後の3、4ヵ月は軽い運動をすることも許されず、鍛え抜いた体は衰えた。リハビリをしても以前のようには力が入らない。競技復帰したが、結果が出せず、前所属先を解雇された。(しかし「母を悲しませたくない」と、貯金をはたいて渡米。アマチュアレースで経験を積み、06年に現在のプロチームと契約。)06年、07年とツール・ド・おきなわで連覇し、08年アジア選手権でつかんだ五輪切符は、そんなどん底からの再スタートから勝ち取ったものだ。

残り50㌔付近から先頭集団から遅れ始めた。「一人になるとなかなかぺースは上がらない。でも、最後まで走り切ろうとは考えていた。お世話になった人たちにリタイアなんて、申し訳なくて……」
10㌔以上の上りが続く坂を7回繰り返す難コースで、ただペダルを踏み続けた。今年のツール・ド・フランスで活躍した選手らも「タフだ」と口を揃えたが、平坦を得意とするスプリンタータイプ(宮沢選手)なら、なおさらのことだ。
それでも苦しくなると、応援に呼んだ母の言葉を思い出した。
「一番きつい坂で待っているから」。
結局、レースに集中しすぎて、気づくことはなかったが、レース後すぐに母からの電話が鳴った。
「どこにいる?」
そっけない会話の中に、母への思いがつまっていた。


[左]ゴール直後に携帯で母を探す宮沢選手!(8/10朝日新聞)
[右]レース後、母純子さんと完走を喜ぶ宮沢選手!(8/10読売新聞)

「100%力を出せた。100%の準備をしてきたので、悔いはありません!」
と晴れやかな表情を見せてくれた宮沢選手!

宮沢選手の人としての強さ、優しさが垣間見えた素晴らしいレースでした。本当にお疲れ様です!そして、これからの更なるご活躍を楽しみにしています!

最後にご参考までに、宮沢選手がレース中に使用されていたサングラスの色違いです!

ハイスペックスポーツアイウェア「RADAR」!
あらゆるスポーツシーンを想定した、超本格派スポーツモデル!

有害な光線はもちろんのこと、レース中に襲い掛かってくる埃や小石などからも目をガッツリとガードします!
ご自身でレンズ交換可能なタイプであるため、天気や環境、度付きor度なしなどの様々なシーンに対応できる機能を持っています!

さ~、今後の日本選手の活躍をみんなで応援しましょう!
それでは、また明日お会いしましょう!おやすみなさいませ~い!